【考察】輪るピングドラム【またしてる】

ネタバレ※含みます。

作品をご覧になってから読まれることをおすすめします。

また、宗教的、実際にあった事件の話もございます。

不快感等を持たれる方はご覧にならないようお願いします。

 

 

 

 

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輪るピングドラムには様々な”メタファー”ともとれる単語があるかと思います。

その中のいくつかは完全にパッと聞いただけでは理解のできない造語だったり、単語自体は存在しているけど意味しているものが違ったり…様々なものがあります。

アニメ鑑賞中はなんとなくで見終われるのですが、終わった後どこかモヤモヤが残りますよね。

今回は、輪るピングドラムにでてくる単語についていろいろ考えてみました。

 

『単語について』


ピングドラム

作品タイトルにもなってますけど全く意味が分かりませんね。何ですかピングドラムって。私は作品を9周したあたりでなんとなく理解してきました。けどなんとなくで時が止まっています…。
個人的に推している説は「苹果ちゃんの持つ自己犠牲に近い愛を知ること」というものです。
ピングは中国語で言う"Píngguǒ"(ピングォ) ドラムは心音(心=愛)という風に解釈できるかなと…。
林檎ちゃんでなく苹果ちゃんという中国漢字表記なのも中国語での発音に掛かっていることを指していると解釈してよさそうです。

あと、ペンギンの音にもかぶさっているように感じますね!

 

>>なぜ輪るのか



・こどもブロイラー
子どもをバラバラに砕いて透明にしてしまう施設。正直信じられないほど怖い施設ですよね。現実にこんな施設があったら怖すぎるしはほりは何度も親に連れていかれそうです。
作中では陽毬と多蕗がこの施設に訪れています。自分のことをいらないと感じている(であろう)子どもがたくさんおり、バラバラにされるのを待っている謎の施設です。
施設内にいる大人は「透明になるだけ」と話しているが、晶馬の父親は由々しき場だとして捉えています。
本当にそういう施設があるわけではなく、子どもの貧困や虐待など子どもを取り巻く問題、そこから発生する自己肯定感の低い、いてもいなくても同じような人間へ育つ子どもたち(いらない子どもたち)が人類にたくさんいることのメタファー?なのかな、と思います。

・「透明」になる
端的に表すと社会に居場所がなくなる。いないものとされる。事だと考えられます。
反対に"死"とは完全に決別しているとも思います。
なぜなら、高倉兄弟が運命の乗り換えをして消滅したとき、および他キャラの死の話の際に「透明」になるという表現は使用されていません。
意図的に表現方法を避けているように感じます。
こどもブロイラーでは「透明」になるだけだよ。とも表現されていますし、死との直結はないものと考えます。
しかし、KIGAの会の方を含め、作中のキャラクターたちは透明になることを恐れています。
その他大勢の一人、だれからも求められない、選ばれない。それは社会を生きていく上苦痛以外のなんでもないからです。
ピングドラムは社会における"居場所"の必要性を説いているように思えますね。

・運命の乗り換え
これは銀河鉄道の夜の鉄道、地下鉄サリン事件の地下鉄になぞらえていると思います。
運命を乗り換えるという言い方ですが、上記のそれぞれ物語の最後待っているもの、事実の中で身近なものは"死"です。
…運命を乗り換えるのは特別な存在にしかできず、本来であればその電車から降りることはできないのではないかと思います。
銀河鉄道の夜では降りたとしても又気づかぬうちに乗っていたり、自由意志で乗り降りができない死への列車でもあります。)
何をどう持って特別とするのかは不明ですが、、、ピンク髪で選ばれたものである桃果と眞悧は少なくとも乗り降りができたのだと考えられます。


>>図書館作中に出てくるそらの孔分室 。

あれは一種の市にさまよえる人のいく場所(銀河鉄道でいう途中途中下車した時の精神世界のような描写)かと思われます。乗り換えをする際に利用する場ですね。駅のホームのような場所。線路もあり、床には乗り換えのような矢印が無数に伸びています。きっと、眞悧はあの場には行けてもそこから乗り換えが不可能なのだと考えます。なぜなら、桃果があんなに欲しいのに、あんなに追っていたのに桃果があの場から去っていった際に追うことをしなかった。不可能だったと考えられます。


>>桃果と"運命の乗り換え"
まず第一に学校のウサギの命を助けた。
時系列は不明ですが、ゆりと多蕗2人の友人を助けた。
ピングフォースの起こした事件をかき消そうとする。(未遂)

作中で明記されている桃果の乗り換えは以上です。
どれも乗り換えをおこなうと代償を伴い、桃果の体は焼けます。
これは前述にある"自己犠牲愛"をあらわしていますね。
ウサギの命を乗り換え、人差し指を、
ゆりを助け、全身を、
すごくふり幅がありますが、助ける規模によって求められる代償に違いがでている、という表現だと思います。
ウサギの命が軽いというわけではなく、ゆりは今まさに死ぬところ(それかすでに死んだところ)を救出した可能性が高く、ウサギは死ぬはずであった段階(まだ猶予があった)ためこのような代償の差が出たように感じます。

又、多蕗救出の際に運命の乗り換えをおこなったはっきりとした描写はありませんが、あの回は多蕗の精神世界のようなもので
桃果は手首を焼かれていますが、それが代償(運命の乗り換えを行った証)だと考えられます。

>>眞悧と"運命の乗り換え"
眞悧には桃果のような世界の姿を変えるような革命する能力はなかったと考えられます。
ピングフォースを結成し、様々な人の力を借りなんとか世界の姿を変えようとしているため、個人で世界を変化させることはできなかったのだと思います。
眞悧の髪色が桃果よりも淡いのは、二人の力の差を出すための視覚的表現だと思われます。

眞悧のいう「みんなの助けてという声」というのは本当に聞こえていた(理解していた)ものと考えます。
しかし眞悧には"運命の乗り換え"はできなかった。なので強硬手段にでたととらえられます。

>>"運命の乗り換え"と桃果の日記
作中ではピングドラムでないかと疑惑のあった"運命日記"ですが、もう作中で注目される時点でこれ自体がピングドラムではなさそうだな…という感じです。
どうしてこの日記が重要なのかというと「運命の乗り換えをするための呪文が記されている」から(乗り換えをするためのアイテムのようなもの?)
呪文が本当に書いてあるのかどうか不明だが、作中見えている日記の内容を見る限り呪文のようなものは見受けられない…。
ゆりの用意したダミーの日記にはさそりの炎への言及などがあるが、あれが桃果の書いたものと断定できない…。
日記についての考察はもっと深くできそうなので別途記事を設けたいと思っています。

 

〇殴り書き状態ですが日々加筆修正いたします。