ぼくのなつやすみ2◇語るだけ《その4》
ぼくのなつやすみ2のネタバレを含む感想、お語りです。
ゲーム内容を知っている前提で話を書くので、ゲームをしてから見てね。
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仲川家
少し離れの一軒家に住んでいる家族で、父親であるオオカミじじいは基本家には帰ってこず、洋が一人で暮らしているるみたいです。
この家族もえもいので喋らせて、喋らせてください。
エモとハードボイルドが組み合わさってる。(ハードボイルドの意味あんまり分かってない)
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仲川洋
中学3年生で受験を控える男の子だが、ロケットの研究・打ち上げに夢中。
小さい頃は靖子と仲が良かったのだが、靖子はひとつ歳が上なことを知らず、一緒に小学校に上がれると思っていたのに上がれず、だんだん疎遠になってしまった。
文系科目は苦手だけど、理系科目は天才的。
オオカミじじい
変わり者と言われるじじい。50代らしい。
周りからオオカミじじいと呼ばれており、本名は不明。若い頃に絶滅したニホンオオカミを探し回っており、変なあだ名をつけられた。
結果、オオカミをみつけて追い詰め狙撃したものの狼の死骸を最後まで見つけられず誰にもオオカミの存在を信用してもらえなかった。
現在は山奥で炭焼き職人として働いており、家にはあんまり帰っていない。
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洋とオオカミじじい
あんまり互いのことを言及しませんが、洋は父のことを「筋金入りの変わり者」と称しています。
オオカミじじいは洋のことを詳しく話しませんが、山を降りたところにある家に一人で暮らしていると理解しています。
いうなれば「ネグレクト」に近い状態に見えますが、この親子は互いを憎んでいるようにも疎ましく感じているわけでもなく、一種の”他人感”が漂っています。
別項で書く『別次元』の存在にも思えなくもないです。
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洋の哲学
「…あのイルカってさ、きっと入道雲がなくって、海と空の境い目が分からなくなっちゃうくらいよく晴れた夏の日に泳いでいたら、あんまり気持ち良くって、すいすい空まで登っちゃったんだと思うよ。」
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オオカミじじいの夢と現実
オオカミじじいはオオカミを追いかけていたころの回想では、夜の空と満月が大きくクローズアップされます。
そして、オオカミじじいの炭焼き小屋は建築名称はわからないんですけど湖の真ん中にぽつんとたつような、水に囲まれた土地です。
他記事でも書いたのですが、空は夢で海(陸)は現実だと私は解釈しています。
オオカミじじいは絶滅したと言われていたオオカミを追いかけていた頃は、洋がロケットをとばす、靖子の父が天体観測をするのと同じような夢想行為だったのだろうと思います。
そして、それが夢じゃなくなった時(オオカミを発見し射撃した)、オオカミじじいの夢はいっしょに散ったんだろうな、と感じます。
オオカミじじいは初めて会ったボクに少し冷たい。ほかの大人とは違ったちょっと怖いじじいです(フランクな谷口さんって感じだろうか)。
「おまえ、オオカミが怖いか?」
オオカミじじいに尋ねられて、私は迷わず「はい」を選んでしまった口ですけど、答えると、オオカミじじいは「…それは、とても大事な感情なんだ。大切にしろ。」と言います。
ここで産まれる疑問は、怖いオオカミをどうしてじじいは追いかけていたのか。ということです。
それは話が進んでいくともっと色濃い疑問になります。
オオカミじじいは「オオカミと人間は生きている次元が違う」といいます。
オオカミが怖い、と思っていればオオカミに近付くこともなくオオカミの次元に入り込むこともない。
そして、オオカミはそれを遠吠えで教えてくれている「急いで向こうの世界に還りない。」と警告してくれているとオオカミじじいは話してくれます。
…じゃあ、一度次元を超えたオオカミじじいはどこの世界にいるの?
と、私は疑問に思いますが、最終的にオオカミを諦めて炭焼き職人としていることから人間の次元に帰ってきたのだろう。と思います。
余りに深追いすると「戻れなくなる」とオオカミじじいはいいますが、それは端的にいうと「死」なのか、現実から極端に離れ人間世界で「異端」として扱われる社会的な死を表しているのかな、と感じました。
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個人的すぎる見解
オオカミじじいって、夏休みの中頃表れて、終盤にはほとんどいないじゃないですか。
それで、私は昔このじじいも死んでんゃねえのか?と勘繰っていた時期がありました。
けど、上記したようにオオカミじじいはオオカミを追うのをやめています。
「むなしくなってやめた」とのことでした。
けど、夢を捨てて現実に帰ってきたもののオオカミじじいは誰よりも空に近い山奥で炭を焼いている。
夢を捨てきれていないような、そんな雰囲気を感じさせます。
海(現実)に近い自宅には作中数回?帰っていますが、そこでも誰ともかかわりを持ちません。
洋と靖子は縁側に座っているのですが、まるでオオカミじじいがいないかのように二人で会話をしています。
凝り性の制作陣なのに、洋と靖子は昨日話してた内容と同じことを話していた。どうしてわざわざオオカミじじいが家に帰っているように仕向けたのに、二人はオオカミじじいをいないもののように扱うのか。
海の近くに一軒家にいるオオカミじじいは、ボクに水かめに溜めている水を飲めと勧めてきます。
その水はすごく冷たくておいしい、とボクは感激しますが、どうして水道が通っていないのか謎に感じます。
「昔は人間みんなこういう風にくらしていたんだ」とオオカミじじいは話し、ふざけてお金を要求してきます。
…とても現実的な姿で、炭焼き小屋でオオカミを追っていた夢について話していたオオカミじじいとは別人のように感じてしまいます。
上記したオオカミじじい死亡説は単純に、富海の住人たちが生きていると判断している。ということと、EDにいる。ということで否定されてしまったのですが。
個人的には好きな説です。
だって、久々に山から下りてきた父親に恥ずかしくても何一つ言及すらしない洋。
それこそ、幼いころから洋と仲良くしていた靖子なら「おじちゃん」と話しかけに行ったって不思議じゃないのに、靖子ですら家の中に居るオオカミじじいをガン無視。
そして、オノが手に入らないとオオカミじじいの元にはたどり着けなかった記憶があるのですが、なんでそんな陸の孤島にオオカミじじいっているの?
大人は使える別のルートがあるのでしょうか…。
色々総合すると、オオカミじじいって違和感のある存在すぎるんです。
・あまり言及されない
・ボク以外の登場人物との会話が無い
・一人だけなんか回想映像がある
・山から下りてきても息子にすら話しかけられない
・夏休み後半忽然と姿を消す
…怪しい!けど、EDに元気よくいるから死んではない!
…ということで、わたしの最終的な見解は『オオカミじじい別次元説』。
死んではないけど、認知しにくい次元にいってしまったんじゃないか、という説です。
なんでボクと話せるのかは詳しくは不明ですが、ボクは犬の死骸(オオカミじじいが狙撃したオオカミ?)との対面したりもしており、あらゆる次元を駆ける主人公補正があると考えられるからです。
オオカミじじいはオオカミを諦めたけど、実際問題では諦めきれてない。
その浮ついた気持ち、というか、定まっていない心がオオカミじじいのいう"次元"をふわつかせているのかな、と思います。
一種、社会的な死(制裁)を受けオオカミじじいは他者から認知されない(無視?いないものとされる?)次元に行ってしまったのではないでしょうか。
なんかかわいそうすぎる気もしますが、この『社会的な死によって次元が(変人のように)違うように扱われている』という説が一番しっくりきます。小さな町だからこそある一種の村八分、のようなものなのでしょうか。
よくよく考えると洋も大人たちとの会話はありません。靖子やタケシ、シゲルがこちらの次元につなぎとめているような、子どもはちょっと変わってても仲間外れになるような『次元越え』はないかのような扱いだと思いました。
オオカミじじいも洋も変人だけど、そこには大人と子どもという大きな違いがあって、”変人”であり”次元が違う”くても子どもであるボクには関係がない。
夢のような幽霊や、オオカミ、それらにボクが出会えるようにオオカミじじいとボクは会話ができるんだと思いました。
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◆ちょっとはみだし
ぼくのなつやすみ(無印)ではオオカミ娘という大学生のお姉さんが出てきます。
…このお姉さんも”変わり者”で、大学では友達がおらず浮いているっポイ。
ボクが話しかけるとテンションの高い日(婚約することになったり)もあれば、一言しか返事をくれないとこもあるような気分屋さん。
たしかに、友達になるには大変そうな人です。
彼女も、2のオオカミじじい同様”いるかどうかわからないオオカミ”を追い求めています。
作品を続けてやることで、オオカミ〇〇と称される人は人間社会における”変人”と呼ばれる人種であり浮いていることが分かります。
変だといわれ浮いているオオカミ娘とオオカミじじいですが、確かに正確には起伏がありますが普通の人。二人ともただひたすらに夢を追っているだけ。なんか、言いようのないエモさを感じてしまうのは私だけでしょうか。