ぼくのなつやすみ2◇語るだけ《その3》

 ぼくのなつやすみ2のネタバレを含む感想、お語りです。

ゲーム内容を知っている前提で話を書くので、ゲームをしてから見てね。

 

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相良家

第二の主人公なんじゃないか、と別記事で書いた靖子の家族。

相良さん一家ですが、みんなめちゃエモです。富海をエモの渦中にしている犯人一家です。今回はこの相良家についてお語りしたいと思います。

 

家族の構成ですが、富海で暮らしているは父方のおじいちゃんと靖子の妹の光の姉妹の三人です。
(作中の)今年からは靖子は東京の高校に進学しており、現在は東京で下宿中。そのため、普段はおじいちゃんと光の二人暮らしのようです。

おばあちゃんは10年くらい前に心臓病を患い既に他界、靖子の父(靖成)は芸術家で画家をしていた天体マニア、既に他界しています。

そして、靖子の母である静江も現在東京でバリキャリとして暮らしているようです。(光が東京には静江の「新しい家族」がいると言っているがそれは静江の実家のことなのか再婚先なのか不明)
以上の6名がエモ相良家です。

 

エモを助長させているのは複雑な家庭環境と、その複雑さを解決するためのキーである父親が既に他界しているため決着がつかないところや、家族みんな【いい人】であるので複雑な絡みにやりきれない寂しさを感じさせます。

 

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妄想なのですが、靖子と光の姉妹って名前の雰囲気が違いすぎませんか?

靖子はお父さん(靖成)から一字とってる…と言っても光はなかなかハイカラな名前に感じます。

私、3人兄弟の末っ子なんですけど両親の中が狂ったように悪くて、父の趣味と母の趣味が全然違っています。互いを尊重するという感覚も欠如しているので、兄弟の名前に全く一体感が無いんです。なんか、その香りを感じました…。

どちらかを尊重する両親なのだとしたらタケシとシゲルのようななんとなく統一性…というか靖子と光のような異質感はないんじゃないかな、と思いました。

敢えて雰囲気を違うようにする!というご家庭もあると思うのですが、実際ゲーム内描写で馬が合わなかったとされる両親ですから、どちらかがそれぞれ名前を付けたんじゃないかな、と感じました。
そういう細かいところでも両親二人が合わない…という暗喩なんじゃないかと勘繰ってしまいます。

 

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靖子について

高校1年生。今年の春から東京に下宿しており、なかなかにかしこい進学校へ通っているらしい。

お父さんのことが好きで、富海に帰省した際もお父さんの部屋を自分の部屋として利用している。反対に母親の静江との仲は険悪。もう何年も喋っていない。
妹である光とは仲良しのよう。

発言の節々から芸術的なところを感じるのでそこはお父さん譲りなのかも。
周りにはお母さんに似ていると言われるらしい。(頑固なところとか?)

 

靖子は海も空も好き

靖子はよく光と海に入りに行ってます。泳ぐのが好きだとも明言しています。

 

そして、きっと空も好きなんだと思います。

それは、お父さんと公園で星を見ていたという話を慈しむように話したり、洋の星座雑学を嬉しそうに聞いたりするところからもわかります。

 

▼別記事で海と空について書きました。

 

この記事になぞらえて、海は現実・空は夢と考えると、靖子はそのどちらも捨てきれない。いうなれば『青春真っただ中』の大人でも子供でもない時期なんだと思います。

空も好きだし海も好き。空に夢見ることも辞めたくないけど現実だって見えている。高校一年生ってそんな年ごろだったような気がします。

 

そして、空と海というと靖子の両親が浮かぶと思います。
靖子はお父さんのこともお母さんのことも大好きなんだと思います。

 

静江について

海が好きな女性で、いまでいうバリキャリ…みたいな人なんだと思う。
交通遺児奨学金団体に勤務していて、自分のことを正義の味方と称するも、自分のことも経ちは自分のわがままで親のいない現状にさせてしまっていることに負い目を感じていて「ちょっと悪い正義の味方」を自称している。

旦那さんとは馬が合わなかったらしい。

 

旦那さんは天体オタクでずっと空を見ている人だったらしく、もうこの時点で我々プレイヤーは海を見つめ続ける静江とは相いれない存在だと旦那のアバターを見ずとも理解ができます。

そして、静江と旦那は細かいところで馬は合わなかったものの、なにかしら大きな喧嘩や要因があって離れ離れになったわけではない…ように感じました。
これまでの積み重なったストレスなんかが原因なんでしょうか。

お墓参りをしている静江と話すと「(旦那は)結構いいヤツなんだ。こんなに早く死んじゃうんだったら、逃げないで、もっと本格的にケンカしてあげれば良かった。」と言います。

静江はこの発言の通り、この富海の町から逃げたんです。

この発言から、旦那に嫌気がさして出て行った。とか、大げんかになって飛び出していった。という可能性が消えるんじゃないかと思います。

本当にただまっすぐに「ウマが合わなかっただけ」なんだろう、と感じます。

登場人物皆の話を聞いていてもあそこの夫婦は喧嘩ばかりだったとか、静江さんがけがを作って泣いていた…とかそんな話は一つも聞きません。
なんなら静江自体も旦那さんのことを「いいヤツなんだ。」と言っています。

 


静江と靖子

お互いに「嫌われている」と思っているけど、互いを気にしあっている二人です。

静江は家を出ていくときに、真ん中の通路のドア鍵をもって富海から逃げ出した。そして、そのカギを返す前に旦那さんが他界してしまいました。

幼い頃プレイしていた時は「返すタイミング失ったんだな」くらいにしか思っていなかったんですけど、まず、どうしてそのカギを持っていったんだろう、と今は考えてしまいます。

作中では「わざと意地悪で持っていった」と言っていますが、静江ちゃんはきっと《家族とのつながりを持ったまま富海から出ていきたかった》のだと思いました。

 

靖子はしきりに母静江がカギをどうしているのか気になっています。

それはこの家族に残った唯一の物的絆だから。

我が家のノドに突き刺さった大きな骨」と靖子は表現していたけど、本当にそういうこと、だと思います。
知らん顔したくてもできない、違和感がある、痛い、どうにかしたい。と思うものであり、それは静江ちゃんの狙いだと思いました。

けど、靖子は「それはそれで気に入っている。」と言葉を締めくくります。これって、静江との絆が残っている今の状態は嫌ではない、ということだと私は感じました。

 

 

家の鍵


この鍵に関しては「返して」と言いに来てよ。というのが静江の本音なんじゃないか、と私は感じています。

痛いでしょ?気持ち悪いでしょ?「鍵を返してよ」って顔を合わせて言ってくれたっていいじゃない。ということを遠回しに静江は思っていたんじゃないかと思うんです。そしてそれに負い目を感じてるんです。素直になれない自分、こどもっぽいことをしている自分に。

静江はきっと「帰ってきて。鍵、返してよ。」と言ってほしかった。きっと、言ってほしいと渇望していた声の相手は旦那さんです。

だって、旦那さんの部屋の鍵なんですもん。旦那さんが家族に会うためにはまず部屋から出て、外を通って迂回しないといけない。不便ですよね。

静江は旦那さんである靖成を家族から引き離そうとした?のではないかと感じました。距離的にも、なんでも。そして、富海の家族の中で一番心が一番離れている静江の立場に立たせようとしたのかな…とか考えてしまいました。


けど、旦那さんが亡くなってからはどういうわけかその対象は靖子にすり替わっていたのかもしれません。旦那さんの部屋を、どういうわけかずっと住んでいる光やおじいちゃんではなく普段は下宿している靖子が使っている、ことにも関係しているのかもしれません。

そしてその反対に靖子は「ゴメンね、返しに来たよ」と言いに来てよ。と静江に思っていたことでしょう。

靖子が「お母さんに似ていると言われる」という部分はここだと思います。
発言や顔立ち(皆キレイキレイ顔ですが…)をみると、静江ちゃんの方がキリっとしてるかんじなのかな、と思うので内面の部分が似ているということなのではないでしょうか…。
頑固で、相手からアプローチしてほしくて、自分から動くのは怖くって。

そして二人は、お互いに微妙な距離感を保ったまま「話しかけに来てよ」アピール合戦をしていた、ということです。

 

靖子は静江の住む東京の高校へ、静江は毎年盆に訪れて茜屋のベランダにこれ見よがしに立つ。

二人とも互いに勇気を出せばいつだって話しかけれたし仲直りができたはずです。
けど、作中ではついに二人の話す姿は見られません。
それは二人があまりにも似た者同士だったから、です。

 

子どものような我儘、意地だとわかっているけどやめることができない二人だから、うまく交わらず静江が【降参】、【諦め】る形で二人の関わるための唯一といっていい物的絆を置いて行ってしまったのです。

 

茜屋に置いてってないかなあ」と、靖子は静江の持っている家の鍵についてボクに話していました。
これは、一応ゲーム上のヒントなのかもしれないけど、靖子と静江の思考回路が似ていることも表しているんじゃないか、と感じました。

まるで靖子の発言を聞いていたかのように茜屋に鍵を置いて帰ってしまった静江。
鍵を置いていくのにわざわざハンカチを敷き入り口から入った時にすぐわかる向きに置かれていました。

大きくなってプレイしなおしたとき、静江がこの家の鍵を大切にしていたことが丁寧にハンカチを敷いていたことから伝わるし、「誰か靖子に返しておいて」という我儘が置かれていた場所から推察できます

 


静江はどうして海が好きなのか

茜屋で会話をし続けると、静江が海を好きになった話が分かります。
…静江のする海の話はなんだか暗い話ばかりだと思いませんでしたか?

私めっちゃこの人暗いな…と、小さい頃からずっと思っていました。

 

夜の海をじっと見ていると、時々、沸き立つ白い波だけが、暗闇の中に浮いているように見えてさ…、なんだか自分が暗闇に吸い込まれてしまうような、不思議な気持ちになってこない?
昔の海はね、地球の端の方に行くと、滝になって、下に落ちてたんだよ。

 

夜を海を見つめて、暗闇に浮く白い波に自分が沈み込むように思える…。これってめっちゃ追い詰められてる人に思いませんか。


旦那さんと細かい部分で話が合わず、ほんとは働きたいのに働き口もないような田舎の富海でささやかな主婦生活、優しい親戚と町民に囲まれているのに不安を抱えている自分、いろいろな鬱憤がとぐろを巻いて、一種の自殺願望のようなものが静江に湧いてしまったようにも感じました。

しかも、地球の端まで流れ着けば滝に紛れてどこかへ落ちる…宇宙に捨てられる…ような、話の順番やタイミングが秀逸というか、静江の話はいつも死や終わりを連想してしまいました。

 

どうして富海の人は「いじわる」と静江は言ったのか

静江が「心の優しい人はやさしい人と。性根のまがった人はやっぱりそういう人とめぐり遭っていく」と話したことから、僕が「じゃあ富海の人はいじわるだ」と言いました。

それは、静江が正義の味方だから。

反対の立場である富海の人は「いじわるだ」とボクは言ったのです。

そしてそれをきいて、静江は「え?」と一瞬困惑しながらも「ここの人たち、本当に意地悪だよねぇ…」と頷くのですが、どう考えても富海の人たちはみんないい人です。
それはプレイしていれば嫌でもわかります。

 

家族を置いて出て行った静江と、そんな静江に何も言及せず笑顔で迎える富海の人たち
どっちがいじわるか、と考えたら正直一目瞭然なのです。

 

なので、ボクは言葉のまま「その理論で言ったらいじわるだね」くらいの温度感で話したのだと思います。だって、子どもだから。

それを言われた静江は「いじわる=おばさんと相容れない」という風に解釈し、きっと「本来は自分がいじわる側」であることを了承しながら自虐のような気持で富海の人たちを「いじわるだよね」と言ったのだろうと私は感じました。


光について

基本的には《占い》をするゲームのイベントヒント要員だけど、相良家におけるボクのような存在
周りの関係性を理解していない様な顔をして、なんとなく察してる。

そして自分がどうしたらいいのか正解がわかってない大人になりきれない子ども

 

光は明るくてねこっかぶりでツンデレだけど、家族や命について人一倍考えている子。

虫はすぐ死んでしまって可哀想だと思っているし、猫が死んだら自分のテリトリーである畑に埋めてお墓を作ってあげる。生きている猫たちにはこっそりエサをあげている。

…きっと、祖母や父の死は光のもっともっと幼い頃の出来事だけど光はきちんとわかってて生きているものはできる限り大切にしなくてはいけないし死は悲しくて尊ぶものだと理解しています

 

そして、《家族》に関しても独特な価値観を持っているんだと思います。
飼っている犬、ケン坊のことは家族とは呼ばず「友達」と称したとき、私は少し違和感を覚えました。あれ、家族に執着してるのかと思ったけど、ケン坊は家族じゃないんだ?と思いました。

おかあさんのあっち(東京)の家族とも暮らしてみたいといったり、ボクくんの家族に入り込もうとしたり…。

光は喋れば喋るほど矛盾があって、こう、愛着障害の子どもと対話しているような違和感があります。

 

猫を被ってみたり、やってきたばかりのボクにはさえないと罵ってみたり。

光は自分の家族と認めた人に対しては境界線がほぼなく、お母さんの静江の家族、認めたボクの家族をもう自分の家族のように思っているのかもしれません。


じいちゃについて

数えで73歳になる診療所で働くおじいちゃん。
こどもっぽいとボクに称されるほど元気なおじいちゃん。

ジェットコースターに乗りたい」だったり「歯医者が怖い」というところから子どもな部分がチラ見えしている可愛いおじいちゃん。

おじいちゃんはとっておきのエモイベントがあり、もう労りの肩たたき1億回したい。じいちゃが地面に埋まるほど肩をたたきたい。

イベントで、盆休みにはいったあたりからおじいちゃんは少し元気がなくなります。

ため息ばかりついて、家でも机でしょんぼりしてる…。ボクくんが話を聞くと死んだおばあちゃんの夢をみるそうで、体は元気らしいのですが、もうその落ち込み方すらもエモ。

 

じいちゃとばあちゃ

まず、じいちゃはばあちゃのことがめっちゃ好き

結婚してすぐは潮館の家に住んでいて、好きすぎて糠漬けかきまぜてるおばあちゃんを後ろから眺めてたら目が合って微笑まれた…そして、それはこれは忘れられないなあと思っていた思い出、その思い出を何度も夢に見ているみたいでした。

それは幸せな思い出のはずなのに、きっと見れば見るほど会いたくなって会いたくなって、けどばあちゃは死んでるから絶対絶対会えなくて、胸が苦しくなるのでしょうね。

 

身体は健康だし別に自殺願望があるわけでもないんだけど、おばあちゃんに会いたくてその方法を求めて心は揺らいでる…。

少年のようなおじいちゃんの心境に「えも~~~~~~~~~~~い」と海に向かって叫びたくなりました。何なら叫びました。

 

…それと同時期のお盆にボクは診療所の病室で不思議な少女に会います。

明言はないんですけど、色々総合するとこの少女は靖子のおばあちゃん。

つまり、おじいちゃんのお嫁さんだろうと考えられます。

 

おじいちゃんとこの不思議な少女の二人はお盆の終盤、一緒にベッドに腰かけて恋人のようにお話をしています


会いに来てくれて、本当にありがとう…

ふふっ、どういたしまして

 

と会話してるんです。
えも~~~~~~~~~~~~~~~~~~い!
ばか!ばかばか!!死人が出るえもさだよ!え?もう死んでる?だめ!だめだめ!こんなのってだめ!あ!やめないで!やめないで!

 


じいちゃは少し、死ぬのを楽しみにしているようなそんな感じ。早くおばあちゃんに会いたいなあと恋焦がれる少年です。
けど、ばあちゃは「そんなこと言わないで」と現実を見るように諭すのが最高にエモなのでエモいです(言語能力が死亡)。

 夢想している少年と、現実を見る少女の対比がエモエモのエモです。

 

私は自分がおじいちゃん子で、おじいちゃんがおばあちゃんのこと大好きだったのでもうおじいちゃんおばあちゃんの話に死ぬほど弱いんですよ。

エモすぎて何度あの盆を過ごしたかわからない…。

 

 

書き出したら終わらない…。察してきました。

今回は相良家について、でした。ここまでです。

実はもっと語れるんですけど、文章力とか、脳のキャパが限界なので一旦落ち着きます。