ぼくのなつやすみ2◇語るだけ《その2》
ぼくのなつやすみ2のネタバレを含む感想、お語りです。
ゲーム内容を知っている前提で話を書くので、ゲームをしてから見ていただきたいです。
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空と海
この作品で大切になってくるのは《空》と《海》だと私は感じていて、よくそれらに想い馳せる大人のセリフがあるんです。
例えば、空が好きで天体オタクだった靖子お姉ちゃんのお父さん。
そして、そんなお父さんを好きになった海が好きな靖子お姉ちゃんのお母さん。
けど二人は馬が合わなくて、喧嘩別れをして、結果お父さんが先に亡くなってしまいました。
そして、夕日が好きだというサイモンと凪咲さん。
凪咲さんの名前に入っている、凪というのは風力が0である状態であり風がやんで波がおだやかになること。海上の静かなこと。を指しています。
空に想い馳せ広い世界を渡り歩くサイモンと、海を意味する名前を持ち田舎にあこがれて東京から狭い世界(田舎)である富海へやってきた凪咲さん。
海が好きな母親に似ていると言われ、それとは関係なく海で泳ぐことが好きな靖子。
そして宇宙にロケットを打ち上げるのが夢の洋。
病室から海と、靖子たちの家を眺める謎の少女と、
宵の明星を探すおじいちゃん。
この作品では様々な人が海と空で繋がっているし、対比表現がされています。
…顕著なのは靖子お姉ちゃんの両親ですよね。
空ばかり見ているお父さんと、海ばかり見ているお母さん。
靖成…が靖子のお父さんの名前なのですが、
意外なことにこの靖という字は『「青」がじっとして澄み切った水の色のことで、「静」と同じ意味を持ち、清く澄んでいる』というような水にまつわる名前です。
しかも奥さんの静江の名前にも入っている静という字に繋がりのある字なんです。
そして、奥さんである静江の名前に入っている江は「海などの一部分が、陸地に入りこんだところ」という意味で、海が関係しています。
入り込んだ…という言葉を見て富海から東京へ行ってしまう静江の行動を重ねてしまいます。
名前は繋がりがあるのにどういうわけか分かり合えなかった二人…というところでしょうか。
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静江の心に残った風景は、雲から稲光が出て次から次に隣の雲へ稲光が伝染する…という大好きな海を呆然と見ていた時に起こった空の風景でした。
このエピソードを聞いて思ったのは、静江は自分と旦那さんが分かりあうことはできない、とより一層思ってしまったのかも…ということ。
稲妻が次々と雲に伝達していき、会話をしているみたいだった…と静江は話していましたが、自分である海はそれを眺めているだけで何を話しているかわからない。
夢を語る旦那さんをみても理解しがたい部分があったのかも、しれません。
靖子お姉ちゃんが作中で話してくれる、『サヤエンドウの話』にも共通して二人は違う未来を見ていたことがわかる話なんだと思います。
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『空』と『海』は何を表しているのか
きっと、この世界において抽象的にいうと空は夢で、海は現実なんだと思います。
そして空は黄泉(死)であり海は現世(生)なのかな、と取れる場面も多くあります。
ざっくりいえば互いに切れない縁のある真反対のもの、のようなイメージです。
空の色に海は染まって、基本的に両方同じような色味で存在してる。
同じようで違う。
傍にいるようで遠い。
絶対に交わることは無いけどずっとお互いを見つめあってるような、そんな関係。
空(宇宙)に底は無いけど、海は底がある。とか、似ているようで全く似ていない存在の大規模バージョンって感じです。
芸術家で夢想家なお父さんと、奨学金団体で働く現実的なお母さん。
夕日がウィンクしたところを撮影する写真家のサイモンと、堅実に看護士という仕事をする凪咲さん。
死んだ奥さんに会いたい、過去に捕らわれるおじいちゃんと、子どもが出て行った後のおじいちゃんの未来を心配するおばあちゃん。
似ているようで違う二人が作中本当に多く出てきます。
これらはどちらが悪いでもないし、分かり合えないわけでもないと思うんですけどね。
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サイモンのセリフ
「夕日が海に入っていくとき、ジュッ!っと音がするでしょ。」
という断定的なセリフから、夢と現実の交わる場所を求めているようにも感じました。
上記したように、海と空は絶対に交わらない。けど、二つの間をどういうわけか太陽は行き来する(ように見える)わけです。サイモンは夢と現実が交わるその一瞬をずっとずっと追い求めて、それが「富海」にあると思い長期滞在をしている、ということです。
「アポロ宇宙船から見える、地球の夜の部分で、一番明るく輝いているのは、日本海のイカ釣り漁船らしいよ。…今、夕日に照らされて、光り輝く、この海辺の色は、あの宇宙船の窓から、どんな色に見えてるのかな?」
というセリフもあり、これも空と海を繋げる発言だと感じました。
空からは海は見える、繋がっている。
空から一番明るく見える場所は海に浮かぶ現実(イカ釣り漁船)である、ということなんでしょうか。
海からは宇宙船が見えたのかどうか、というと微妙なライン(多分見えないよね)。
空からは海が見える…というのはこの発言のある時期はお盆?くらいだったかなと思うので黄泉の世界からはご先祖様が生きている子孫が見えるから見守っているよ…というお盆ネタも含んでいるように私は感じました。
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空と海を繋げるもの
作中で挙げられているのは
【夕日】と【ロケット】、そして【入道雲】の3アイテムです。
洋と靖子はロケットが間に入り、空と地上を結びます。
そして、サイモンと凪咲は夕日が間に入り、空と海を結びます。
こんな感じに前の項でどこか対比してている二人には間を結ぶ何かきっかけがあるように感じました。
ですが反対に、別離してしまっているカップルもいます。
靖子の両親は、父親が死んでしまったことで完全な空の存在になってしまいました。そして、静江はそんな空を静観している海です。
二人は永遠に交わることがありません。
そして、じいちゃとばあちゃもばあちゃの死によって永遠に交わることがありません。
じいちゃは宵の明星が見つからないと探しているシーンがありますが、宵の明星は限られた時期にしか見られない金星のことで、お盆という限られた時期に少し帰ってきたおばあちゃんを探している…と捉えてもロマンチックな気がします。
…お盆エモイベントでもある『じいちゃとばあちゃが恋人のように話すイベント』は、本当にあったと思いたいところですが、じいちゃの話を聞いたボクの見た夢(想像)だったのかもしれないですね。
靖子の両親、そしておじいちゃん夫婦はそれぞれ『死』という概念が二人の間に立ちはだかっています。
ですがOPを思い出してほしいのですが、ナレーションで「海の上に白い入道雲が浮いていた」と表現されています。
私は改めてプレイした時にこのナレーションを聞いて、この夏の時期だけ空と海を繋ぐ大きな雲が、お盆という時期にも合わさり、なんだかすごく神秘的に感じました。
空に浮かんでいるはずの入道雲が「海に浮いている」と表現してすることによって、海と空の境界線を交らわせているんだと感じました。
また、靖子と洋の一日ですが。
昼は海辺の洋の家で一緒に受験勉強をして、暗くなれば二人で夜空を眺めて星について話す、この流れは現実と夢の交差が描かれていると感じました。
…二人の話でひとつ気になるのは、靖子に海に誘われた洋が「泳げないから」と断ってしまったところ…。
泳げなくてもきっと靖子は来てほしかったんじゃないかな…なんて考えてしまってあまずっぺさにめがしぱしぱしました。
今回は作品でよく中止される空と海について語りました…。
噛めば噛むほどエモエキスがでてくるスルメみたいなゲームすぎて困惑してきました…。実家にあるプレイステーション2とぼくなつ2を奪還してきたい気持ちでいっぱいです…。